2011年1月9日日曜日

漱石先生と子規さんが共同生活をした愚陀仏庵

【漱石先生と子規さんが共同生活をした愚陀仏庵】

松山市一番町にある萬翠荘の裏山に愚陀仏庵があります。

愚陀仏庵は、旧制松山中学に英語教師として赴任していた夏目漱石と正岡子規が50日間共同生活をした場所として知られていますが、元々はここにあったわけではありませんでした。


                   【焼失、そして復元】

愚陀仏庵は、元々松山市二番町にあった上野義方邸の離れでした。

1895年に夏目漱石が英語教師として旧制松山中学に赴任してきた際に、下宿として利用しました。

その後、正岡子規が居候としてやってきて漱石と一緒に52日間共同生活をしました。

また、俳句結社「松風会」に参加し句会を開いた事もあり

これが後の漱石文学に影響を与えたと言われています。

ちなみに愚陀仏庵という名称は、漱石先生の俳号「愚陀佛」が由来となっています。(名付け親は漱石先生ご自身だとか)

その後、1945年の松山大空襲により建物は焼失。戦後の1982年に萬翠荘裏に復元されました。


【元あった場所は・・・】

元あった場所は、繁華街の中にあり201012月現在コインパーキングとなっています。

また、駐車場のそばには愚陀佛庵があったことを示す石碑が設置されています。

【豪雨により倒壊】

2010712日、午前6時ごろから短時間に大雨が降った影響で山腹の土砂が崩れ、愚陀佛庵は倒壊してしまいました。

その結果、愚陀仏庵の見学は中止となりました。(萬翠荘も、安全確認のため一時観覧が中止となりました)

句会を開いていた俳句結社の皆さんや市民はショックを受けられていました。




【現在】

現在、倒壊した愚陀仏庵は撤去され更地となりました。

現在、再建に向けて官民が一体となり体制作りを整えています。

再建にあたっては、萬翠荘裏のほか道後ネオン坂にあった朝日楼跡地

二番町の元の場所の3つの場所が再建場所の候補に挙がっています。

まだ取り組みは始まったばかりですが日が経つに連れて詳細も明らかになってくるでしょう。